誠実男が幸せになる良い例

あ~。オレも10年も前だけど、嫁に浮気されて離婚したなぁ。
じゃあまぁ、オレのみっともない話を。

平成元年春に知り合い付き合い始めた。
当時自分は19で元嫁は22歳だった。
ちょうど一年後、結婚を前提に同棲を始める。
しかし、結婚式を9月に控えた6月に元嫁が会社の上司と浮気したことが発覚。
すぐに結婚式場にキャンセルを入れた。
ところが、式場の担当が自分の母親の知人だった為、どーなってるんだ!と連絡が入る。
自分の両親、元嫁の両親含め話し合いの場を設け色々話し合いました。
結果、うまくまとめられ結婚することに・・・。
この時ちゃんと別れてれば・・・。

元嫁は勤め先を変え、オレは浮気相手から100万慰謝料として請求し受け取った。
その後、まぁごく普通に結婚生活を送っていた。
お互い子供を作る気もなく、共働きだったことも有り生活は楽だった。
ある日、元嫁の父親から「家を建て直すから、2世帯住宅にして一緒にすまないか?」と相談された。

自分は次男で元嫁は長女。
(弟がいたが当時付き合ってた彼女の家に婿に行く事になってた。)
土地代タダだし、建物だけのローンなら楽だし、いーかな・・・と気楽に考え、承諾。

平成7年、家が完成。
嫁の両親と2世帯住宅での生活が始まる。
自分25歳、元嫁27歳。

この頃から元嫁の帰りが遅くなったり、セックスさせなくなってくる。
しかも結婚当時、自分の車を売って結婚資金を作った俺に対して、禁煙して少しでも節約すると言っていた嫁だが(自分はタバコ吸わないんで)、家のベランダに多量の吸殻の入った缶を発見。
文句を言ってやりたかったが、見て見ぬふりをしてやった。
後から知ったがオレの前で吸ってなかっただけで、禁煙なんてしてなかったらしい。
その後も帰りが遅いことが頻繁にあったり、日付が変わってから帰ってくる日もあった。
自分も飲みに出たりしてたが、ガマンできなくなり遅くなる理由を聞いた。

当時元嫁が働いてたのは今で言うITの先駆けみたいな会社で、とにかく忙しいとの事だった。
実際給料もかなり良かった。
オレは元嫁の言葉を信じ、その後は遅く帰ってきても何も言わなかった。
しかし、完全週休2日だったのに、土曜や日曜も仕事だといって出かけるようになった。

平成8年。
ゴールデンウィークに入った日、ついに元嫁が朝まで帰らなかった。
連絡も何もなかった。
その日は自分は友人と約束が有った為、昼頃から外出しました。
夕方家に帰ると元嫁の車の代わりに、見たことの無い県外ナンバーのマークⅡが止まってました。
嫌な予感がした。
玄関を開けると、男物の靴があった。
リビングに行くと、元嫁とスーツを着た男がいた。

「誰だい?この人?」

冷静に言ったつもりだが、声は震えてたと思う。

「会社の後輩。この人と付き合ってる。だから別れて」と元嫁。
「スミマセン。お願いします」と間男。

この時点でオレは離婚を覚悟した。

「はぁ?何言ってんの??」とオレ。
「お願いです。別れてください」と間男。
「オマエいい加減にしないと刺すよ」と言ったものの、そんな勇気ない。
「ちょっとお前ら来いよ」と、一階にいる元嫁の両親の所へ連れていきました。

幸い休日だったので両親揃ってました。
自分が事情を説明すると、両親は呆気にとられてました。

一通り話が済むと義父が
「オレは●●(嫁の名前)の親だから、●●のしたいようにさせたい」
「◯◯君(オレの名前)はどうしたいの??」と聞かれました。

ここぞとばかりにオレは「結婚式直前に浮気されて、七年間も禁煙してるとか騙されて、しかもこの有様ですよ!もちろん離婚しますよ!」と言い放ちました。

その後のことはよく覚えてませんが、間男は自分の車に乗り込み、自分と元嫁は部屋に戻りました。
元嫁は無言で軽く荷物をまとめ、テーブルに結婚指輪を置き「近いうちに離婚届送るから、ハンコ押して。今日から彼のアパートで生活するから」と言い残し家を出て行きました。
結局、元嫁に会うのはこの日が最後になりました。

元嫁が出て行ってすぐに義父が来て「なんて言っていいか分からないけど、すまん」と言い。
「そば打ったからから食べてよ」と、その日の夕飯の世話をしてくれました。

数日後、元嫁から離婚届が届きました。
俺はすぐに元嫁に電話をし「離婚はするけど、慰謝料もらうまでハンコは押せない」と戦線布告をしました。

「分かった。じゃあ調停だね」と自身満々で元嫁は言いました。

約一ヵ月後、家裁から調停の呼び出し状が届きました。
この約一ヶ月の間に元嫁の両親の態度もがらりと変わり、「早く出て行け!」的な態度に豹変しました。
でも俺は何も悪くないので、ある意味開き直って住み続けました。

調停初日。
調停員さんに離婚の意思はあるか聞かれたので「離婚はするが慰謝料をもらってからだ」と主張しました。
調停員も「当然ですね」と自分の意見を認めてくれました。

しかし、慰謝料の話は長引くだろうと言うことで、家のローンと財産分与の話を先に進めました。
結果、離婚が成立するまで家のローンをオレと元嫁で折半。
光熱費等は自分が全額負担。
早急にローンの名義をオレ以外に変更すること。
現在ある貯金を半分ずつ分けること。
こんな感じで調停は進んで行きました。

約三ヶ月掛けて上記の話し合いが済んだ頃、また家裁から呼び出し状が届きました。
申立人は義父でした。
内容は立ち退き要請でした。

もう自分もかなり開き直ってたので調停員に「引越しするのにもお金がかかるから、50万払うように言ってください」と伝えました。
当然、義父は払うつもりは無いようだったので「じゃあまだしばらく住みますよ」と伝えるように言いました。
双方譲らぬまま時間は経ち、オレは元嫁・間男・義父を相手に調停をこなしました。
そして、その年の10月に義父が折れて50万の引越し費用を手にし、オレは家を出ました。
ちょうどすぐ近所に後輩が住んでたのですが、オレが家を出た後すぐに間男を連れて元嫁は帰ってきたそうです。
なんだかなぁ。

家を出て、住宅ローンは払わ無くてよくなり、ローンの名義もどんな手段を使ったか分かりませんが変更してもらい、本題の慰謝料の話を残すとこになった矢先、調停員に「先方が3ヶ月調停を休止したいと言ってます」と言われました。
俺は「え?何でですか??」と聞くと、信じられないことに「(元)奥さんが妊娠していて出産間近なので、出産が済んで落ち着いてから話し合いたいと言ってます」との事でした。
当然俺は新居では一回もセックスしてなかったし、元嫁も誰の子かは分かりきってたので、認知等の話は出ませんでした。
調停再開後、慰謝料の話になると思いきや、離婚前に出産したもんだから、生まれた子が俺の子じゃないことを証明しなきゃとかで、病院にいって血液型の証明を書いてもらったりと無駄な時間が流れました。

初調停から約一年が過ぎようやく具体的な慰謝料の話になりました。
自分が請求したのが二人に200万づつ、計400万です。
もちろん相手がすんなり払う訳なく調停は難航しました。
そんなやり取りが続く中、いつも仕事を途中で抜けて、油まみれの作業着で出廷してる俺の姿を見て、調停員が「いつも一所懸命働いてるねぇ。味方するから」と言ってくれました。
最終的に初調停から2年かけて、400万を40回払いにするって事で話はまとまりました。

調書を作り、離婚届にハンコを押し、気づいたら28歳になってましたw
その後、元嫁と間男は結婚して、慰謝料は両者の連名で振り込まれ続けました。
ところが三分の二程払い終えたある日から、振込みの名義が元嫁だけになり、額も半分の5万になりました。
あまり気にしてなかったのですが、数ヵ月後元嫁から手紙が来て「旦那と別れることになり調停をすることになったのだけど、今のところ自分の稼ぎだけで家のローンを払ったり子供を育ててるので、しばらく慰謝料を待って欲しい」との事でした。

正直うけましたw

俺は既に再婚してて、300万ほど回収できてたので、嫁に嫌な思いさせる可能性もあったので残りの慰謝料は諦め、手紙の返事も書きませんでした。

今現在、元嫁はバツ2の子持ちの38歳独身です。
俺は現在36歳。

2001年に7コ下の嫁と結婚して、5年前に独立して有限会社を設立。
4年前に家を建て2人の子供に恵まれて、生活は楽じゃないけどそれなりに幸せに暮らしてます。
・・・と、長くなりましたがこんな感じです。

未回収の慰謝料に関しては、調書を持って家裁に行って手続きすれば給料や財産の差し押さえが出来るらしいんだけど、既に平和に暮らしてたので、荒波立てるのもイヤだったので請求しませんでした
うちは両親もバツ1同士なんで、俺には意見しませんでしたw
幸い子供もいなかったから「自分の好きにしな」って感じでしたよ。

そんじゃそろそろ寝ます。
おやすみなさい。

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